高野拳磁と冬木FMW時代を語る杉作J太郎


これは、某原稿(notマッスル)で頭を悩ませているエイジさんの現実逃避の産物でもあります。
忘れる前にメモ程度にしておきます。あんまり詳しく書いてません。
マッソル文章は今月末までに出来ればなーーーーーーー。



FMW
.J「この映画(レスラー)はマトモに見れなかったですよね。当時の事を思い出してしまって」掟「ずっと斜め向いてましたものね」J「途中から、あ、これはエンターテイメントだと割り切りましたけど」
.J「プロレスって言えない事ばっかりなんですよ。本当に全部言えない。自分もFMに関わらなくなって、プロレス一切みなくなりましたもの。今回のマッスルで10年ぶりに後楽園の5階に降りたら、そのとったん胃液が逆流してきて。客席に座っても何十分かはマトモに前を向けなかったかったんですよ」
.J「何かでアルスノーがミックフォーリーの試合を観ながら言ってたんですよ。”ほら、こんな事をして客を沸かして喜ばしているけど、事故ったらコイツらなにもしてくれないぞ。騒いでいるけどさ。そりゃあ今日のいっぱいぐらいは奢ってくれるかもしれないけど。騙されて勘違いはしちゃダメだって”」掟「でも、そこで戻るのがランディーだと」J「あんだけみんなが”飛べ!飛べ!”って言ってたハヤブサが最後にどうなったか知ってますよね?今ハヤブサの元にどこまで残っているのか。彼も色々あったし、FMの後輩が面倒を看てくれているんですよ。それを考えた事があるのか。でも、彼はリハビリ頑張ってましたものね。最初はタバコも口に持って来れなかったのに」
.J「冬木さんはシビアだったんですよ。”こんな選手を使いたい”って言っても、”じゃあ、この選手は何人の客を連れて来れるの?10人20人じゃいらないよ”って。当時のFMでも、直にいる選手といらない選手を切り分けたんですけど、やっぱり辞めさせられなかったんですよね。そこは」
.J「プロレスラーて、やっぱり凄い仕事なんですよ。全身傷だらけの血まみれになるんですから。ある外人選手は、試合前にウイスキーのボトルを一本を一気に飲んでベロベロにならないとやれなかったぐらいですし。ボールズ・マホーニーの事なんですけど」
.J「後楽園規模だと行けるけど、それ以上の箱になると、やっぱり何かを付加しないといけない。それが大変なんですよ。全試合に何かを付けると。悪役商会とか丹古母鬼馬二まで。HBKに何千万も使って」坂井「それを考えると、PPVってのは大会場でやっては行けないと思うんですよ。後楽園でいい。だって、地理的、座席設定、照明、音声、空気感、歴史、盛り上がりとかを含めると、後楽園ホールが最強のスタジオなんですよ」
.坂井「プロレス業界でダメになると、本当にそこは全滅するんですよ。そうすると教訓が次の世代に継がれてこない。誰もいなくなる」J「FMWも自分は途中で抜けてますからね。本当の最後の部分ってのは知らないんですよ。FMWの最後の最後の部分ってのは、荒井さんと冬木さんしか知りませんもの」
.坂井「後楽園規模で”くる”団体ってあるじゃないですか。でも、そうすると順番にダメになってくる」掟「FMもバトラーツもみちのくも」坂井「だから次はDDTの番かもしれないし、もしかしたら、そこはマッスルだったかもしれない」J「FMWもいい時期の後楽園は良かったんですよ。ディレクtvが入っていた頃も良かったですし」坂井「ディレクのppvスタイルのFMが理想型なんですよね」
.J「よく、FMWは呪われている、って言われるけど、ひとつひとつを見ると決して呪われてはいません」
.J「荒井さんから、最後に”FMWの副社長になってくれ”って頼まれた事があるんですよ。でも冬木さんから”絶対に辞めろ!”って言われまして」
.J「最後って、荒井さんが会場に来るけど、直後にいなくなるんですよ。回らなきゃいけないから。指示系統の決定権は荒井社長があるんですよ。その人がいないと全然決まらない。ましてや自分の言う事を聞かない人がいますし」
.坂井「でも、チョコボール向井さんとか若菜さんとか上げて、りっぱに送り出したのはFMが最初ですからね」J「あそころ辺は自分のルートもあったんですよね。荒井さんが几帳面だから、”若菜に近づくな”ってなって、選手一同が”なにーー!!!”って(笑)」
.J「でも、自分の立場だと、FMWの仕事はつらかったですよ。最後に辞めてたんですけど、冬木さんから何度も何度も電話がありまして。自分は出ませんでしたけど」
.J「荒井さんから、最後に手紙が来たんですよね。直筆で細かく細かく書いていまして。昔と変わらず几帳面だなあって。手紙には、”本の印税が入りましたら、未払いの給料をお支払いします。”とか、感謝の言葉もあって。一年以上貰えなかったかったですけど。そこまでしなくてもいいのに。お金がないのに、しっかり払い続けたからそうなった部分もあるんですから。印税もちゃんとそういうルートで回るようにしておいていたと」
.J「で、その手紙をポケットに入れて新宿に用があったから向かったんですよ。そしたら、アサヒ芸能から電話がありまして。”杉作さん!”って。ああ、これが遺書だったのかあって。本もそのつもりで書いたのかあって」
.J「冬木さんの作るアングルってエグイのが多いんですよ。しかも、プロレス業界って一歩抜けると解らなくなるんですね。これは本当の事なのか?って。だから最初にガンだって知らせを聞いても、冬木さんだから判断が出来ないんですよ。でも、最後に三沢さんまで出てきたじゃないですか。それを聞いたらやっぱりですよね。普通は三沢さんまで来ないですもの」
.J「ガンも早い時期に解っていたんですよ。でも、自分がトップレスラーだから休めない。隠して試合に出続けたんですよ」
.J「でも、自分は当時は関係を断っていましたから。一切会ってもいなかったですし。引退興行がディファであったんですけど、そこにも行くか行かないか決めないで。知人と会ってたけど、やっぱり色々迷って、”ごめんなさい!やっぱり行かなきゃ!!”って」
.J「当日の進行とか何も知らないんですよ。でも、とりあえず花束は買って。タクシーで高速使って向かったんですよ。あれこれ迷っていたから、遅れに遅れてまして。会場についたらもう終わる頃だったんですよ。タクシー降りたら、ノアの社員さんが”贈呈してますから、急いで下さい!”って言ってもらいまして。ああ、自分も会場に入れるんだって」
.J「で、入ったら花束贈呈してるんですよ。邪道外道もそこにいるし。で、当人も来るって思ってなかったじゃないですか。だからリングに上がって、目が合った瞬間に二人でボロボロ泣いて、そして抱き合って。それが最後でしたね」
.J「ガンの最後もそうなんですよ。それも関係者から”今晩”って聞いて、向かうかどうかも、それは。で、病院についたらロビーで須山さんが、”早く!早く!”って言って。急いで病室の前に着いたら、中から小橋さんが泣きながら出てきたんですよ。ああ、間に合わなかったなあってそこで思いましたね」


※補足;
シリアスな話になると、杉作さんのふわっとしたJトークを入れるんですよね。それを再現するのは難しい。
あと、固有名詞を伏せるかどうかを迷いましたけど、これはいいと思う。そうですよね?


※2014/10/18 追加;
「荒井さんのお墓参りの話なんですが、実は今の今まで行けてなかったんですね。ダメな話なんですが。」
「で、今回の命日で十年じゃないですか。当時の関係者みんなで行こうと想いまして。健さんが毎年足を運んでいたのですが、そこって荒井家のお墓だったんですって。本当に近い関係者でも実際のお墓は知らなかった。家族だけが知っていたんですね。今回の機会に荒井さんの実際のお墓にみんなで足を運んだのですよ。」

「で、そこにみんなで行って。そこで自分の話になりますけど、自分が借金を絶対にしないし、今でもお金を持ってないけど借金だけはない。それは何故かって言えばあの一件があったからんですよね。」

「当時でも関係者みんなでご飯食べたりしたら、荒井社長が”皆さんの会計は払ってありますから”とかやって下さって。そんなの全然払うのに。会社だって苦しいのみんな知ってましたから。そこで見栄を切ってしまう性格だったんですね。実際にあそこまで困っていたと知っていたらですよ。そこまで切羽詰まった状況だとは教えてくれなかったんですよ」

「最後の”あの状況”になってたのも、全然知らなかったんですよ。だから、その時、本当に最後の最後の状況になった時に、みんなに仲間達に言ってくれればという想いがあるんですね。当時だって、まあ、今もですけど、お金ありませんでしたけど、あんな事になるなら、みんなで精一杯かき集めて絶対にどうにかしようとしたはずですよ。とにかく”生きていてほしかった”んですよね。最低限は生きていてほしかった。」

「そういう話を今回のお墓参りでしましたね。」

http://heal.27commu.net/?p=69



FMW Theme

マンモス佐々木の入場曲。




高野拳磁
.J「その点、高野話は面白くなるのばっかりで。やっぱり彼のマイクとか良かったですものね」掟「試合が良くてもダメなんですよね。ちんたらちんたら試合をして、その後にあんなマイクで。凄かった。”PWCという、自分の団体というパンドラの箱を開けたら何もなかたっよ!会社やってどうする!就職してどうする!仕事してどうする!どうする!どうする!どうする!世の中どうするばっかりだ!!”って」
.J「ちんたら、って言えば流山でさあ、カメラスタッフも入れて試合を撮影したのに、高野はずーっと場外で寝っころがって、うんうん言ってさあ。全然試合しないの。で、リング上は松崎と荒谷さんが血まみれになって」掟「あの荒谷さんが!某団体の誘いを”練習がキツそうだからいいや”って断ったぐらいのなまくらなのに」J「で、試合が終わったら肩を組んで”うん、この若い奴らも頑張ったから!”とか言ってさあ、はらわた煮えくりかえったんですよ」
.J「武勇伝はいっぱいあるんですよ。恵比寿のラーメン屋を一軒破壊したし。その時に”俺は新日本の高野だ!”って。違うでしょ(笑)」
.J「深夜三時ぐらいに電話があるんですよ。”Jさん、今どうしているか解りますか?ロウソクの火を見ているんです。電気を止められて。これから一家で心中するかもしれない”って。そんな事を言われたら、待て!ってなりますよね。それから一時間かけて自転車で高野の家に行かないといけなくなって。家に喰いかけの饅頭が三つあったから、それを持って行くんです。お金だととられちゃうから。家に着いたら大喜びで。饅頭も”お、三つある。これで生きて行けるぞ!”って。そんな訳がないじゃないですか」
.J「屋台村だって色々あったんですよ。高野が”俺はジムが欲しかったんだ!これからはここで選手を育てる事ができる”って上機嫌で喋って。向こうに行った隙に、ずーと黙っていたワカマツさんが”んな事言っても、焼きそばで選手は作れません”って(笑)」坂井「でも、そこから、野澤、菊沢、高木三四郎と一国一城の主が誕生しましたね」
.J「高野って狭いアパートに2メートルぐらいの犬を飼っていたんですよ」掟「2メートルの野良犬だ(笑)」J「で、その犬は大人しいんですけど、やっぱりクーンとか言う時があるんですよ。そしたら、高野が鉄の棒を持ってバッシンバッシン叩くんですよ。さすがにそれは可哀想じゃないですか。それを言ったら”この家で誰が一番偉いか解らせてやってるんだ!”って(笑)
.掟「格闘技界では、何かそんな動物を飼うのがステータスなんですかね。猪木もどこから仕入れたのか白いライオンを飼ってましたし(笑)」坂井「上井さんが言ってましたけど、その頃の新日本は社員もヤバかったって。ある社員は猟犬を飼って、初めて猟りに行ったら、散弾銃の音で犬が逃げて全然ダメだったんですって。だから、割り箸でその犬の両耳の鼓膜をその場で突いて潰して、これで大丈夫って(笑)でも、ダメだったんですって。そして昼飯でオニギリを食べてたら、下に落としたらバクって食べたんですよ。それを見て即座に散弾銃で犬の頭を粉々にしたという(笑)」
.J「高野は夢ばかりを語るんです。”大きい人だけを呼びたい。ほら、小さい人に仕切られるとムカつくじゃん”とかさあ」
.J「あの頃の屋台村は、やっぱり呑気で。高野とワカマツが抗争しても、興行終わりはみんなで一緒に電車で帰るんですよ。道中でワカマツさんが”高野、俺も勉強したいから。頭が良くなるには本を読んだ方がいいって聞いたんだ”って。で、みんなで綱島の古本屋に行くんですよ。そこで高野が”ワカマツさん、この本がおすすめですよ!”って言ってさ。後ろで笑っているんだよ。見たらアムウエイの本で(笑)真面目に読んでるワカマツさんをみながら”クククク!”って」
. J「本当に金を払わなかった。屋台村でファンが来ても興行できなかった。説明が”イス屋に金を払わないから”って。そんなの嘘で、会場と揉めたんですよね」
.J「西日本プロレスの旗揚げ戦が九州であってさ。高野がら航空券がスタッフ分の三枚も送られてきて、みんなで大驚愕して。高野が奢るなんてって。で向かって、興行終わりで焼肉に行くんですよ。で、高野がありえないぐらいバクバク食べて。で、最後に”あ、ここはワリカンですから”って!くっそー、先にそれを言えって(笑)で、会計の時に席を出たら、周りの客に、若い女の子にキャーキャー言われたんですよ。そうしたら、”あ、Jさん、ここの会計が俺がもつから!”って。なんだよ、それは」
.坂井「だから、高野拳磁PWC高木三四郎の元でもあり、同じ事をしてるとも言えるし、反面教師でもあるんですよね」


もうちょっとあったけど、いいか。当初は気合い入れてレポるつもりがなかったんです。





おしまい。