ひふみよと小沢健二と岡崎京子と岡村靖幸

 

 
※当日の内容が解るような記述にしていますんで注意して下さい。件のライナーの下から書いてます。
転記してくれた方、お疲れ様。
 
 
 
●”犬は吠えるがキャラバンは進む

"犬は吠えるがキャラバンは進む"というのは僕の好きなアラビアの諺で、正確な意味はよく知らない。だけど例えばこのアルバムで僕が何回か言っているように"俺という犬は吠えるのだが熱力学的キャラバンは全く無頓着に進んでゆく"という風に考えることもできるし、また同じくらい何回か言っているように"犬たちが吠える時にも恐れずに僕たちはキャラバンを進めていくことにしよう"という風に考えることもできて、実際に僕は1日の中で犬になった気分になったりキャラバンになった気分になったりする訳で、では結局これはどっちでもいいいい加減な諺なのだと勝手に決めて、多くのアラビア人や諺学者には悪いけど、この言葉をタイトルにすることにした。略称はぜひ"犬"でお願いしたい。"犬キャラ"というのは今一つである。芸術について僕が思うのは、それはスーパーマーケットで買い物をするようにアレとコレを買ったからカゴの中はこうなるというものではなくて、アレもコレも買ったけど結局は向こうから走ってきた無限大がフュッと忍びこんで決定的な魔法をかけて住みついてしまったどうしましょう、というようなものではな いかということだ。言い古された言い方をすると、作者に全てがわかる訳じゃない。でもお喋りな作者というのは常にいて、哀れにも自分の作品には及びもつかないみすぼらしいメモ帳の切れはしを読み上げてしまったりする。僕は過去に何人ものそういう愛すべき作者たちが好きだったんだけど、今回はどうやら僕の番のようだ。せいぜい堂々とやろう。まず僕が思っていたのは、熱はどうしても散らばっていってしまう、ということだ。そのことが冷静に見れば少々効率の悪い熱機関である僕らとかその集まりである世の中とどういう関係があって、その中で僕らはどうやって体温を保っていったらいいのか?(このへんの下りは暇な人には考えてもらってもいいけど、暇じゃない人にはどうか読み流してもらいたい。こんなライナーノーツは全く、僕が好きな蛇足というやつに過ぎない。)またある点で物事の性質がクリッと音をたてて変わるというのはどういうことなのか? それにもの凄くスピードの違うものがあるということは? などなど悩み盛りの若者らしく様々考えていたりする一方、それにしても友達はうざったそうに鏡を見てるし、どこかへ出かければ楽しいし、夜更けにリズムやメロディーはほんとに心に突き刺さる。しかもそういうことと前に述べたようなこととは全く無関係ではないらしい。一体どういうことなんだ? ある友達の女の子が出来たばかりのこのアルバムのカセット・テープを聴いて、何かゴスペルみたいねと言った。その時僕は即座に言わなくてもいい軽口の2つ3つをたれ流してその場をごまかしたんだけど、本当はその子をぎゅーっと抱きしめてしまいたかった。どうかこのレコードが自由と希望のレコードでありますように。そしてこのCDを買った中で最も忙しい人でも、どうか13分半だけ時間をつくってくれて、歌詞カードを見ながら"天使たちのシーン"を聴いてくれますように。ついでに時代や芸術の種類を問わず、信頼をもって会いに来た人にいきなりビンタを食らわしたり皮肉を言って悦に入るような作品たちに、この世のありったけの不幸が降り注ぎますように。しつこいけど、こんな風に書き連ねているたわ言は、本当にただの性急なる僕の無駄口にすぎない。よくCDを買うとついてくる指人形やなんかのオマケと一緒である。この風変わりなオマケをしめくくる前に唯一言うべきことがあるとすれば、このレコードに関わってくれた人達への感謝だと思う。特に一緒に演奏をしてくれた人達には、巨大かつ不気味なキスと共に捧げたい。どうも有難う。誰もが知っていることだ けど、夜が明ける朝は必ず来る。もし朝が来て眩しすぎて嫌になってしまったら、それでもしその日休むことができたら、夕方まで寝てしまってから起きて散歩にでも行くかお酒でも飲むことにしよう。僕がこのCDに望むのは、車の中や部屋の中やお店の中で、小さな音ででもいいから何回かかけられることだ。歌詞なんかうろ覚えのままで口ずさんでもらったりすることだ。キャラバンは進むし、時間だって進んでいく。いつか近くで僕がライブをやることがあったら、来て一緒に歌ったり、踊ったりして欲しいと思う。


小沢健二



さてさて、ここから物語が始まる。


会場の電気が落ちる。


くらやみから”ひーふーひ!ふ!み!よ!”っと声が聴こえる。


この短いフレーズ中に、沖さん?しかもこれって?流星?え?え?え?


真っ暗の中でビバップ。しかもエレク時みたいな音。声が聴こえる。彼がそこにいる。10数年渇望していた人達から声にならない声が聴こえる。


ライブ中に何度も何度も詩が入る。物語。電気がなくなった街のお話。ラジオから音楽が聴こえる。


次の曲のイントロがかかる。小沢ライブの時は変わりまくったアレンジをするのがお決まり。


ん?これって?で、旅が始まる。やらないかもと思っていた。この文章も彼へのとても長い手紙。内緒じゃないけど。


「遠くまで旅する恋人に!溢れる幸せを祈るよ!」ステージに照明がつく。ああ、予告していた”あの頃”のメンバーだし”あの頃”の立ち位置だ。


客もステージ上も同じ時間が経過したんだな。それは悪いことではない。


MCというか詩というか。当人も感激しているのか緊張しているのかつまる。


三曲目なのに天使たちのシーンが。こっちで勝手にラストにと思っていただけ。歌詞が違う。それが今のモードなんでしょう。


後ろにビジョンが写る。雪の中を歩く猫と鳥。国境の話をしたんだっけな。もう一つの選択。


新曲をやらないで、一曲でも多く”あの頃”の曲を聴かせてとは勝手なワガママだったりして。新曲の歌詞を聴いて「これが今日の目的だったな」とか考えたりする。


苺が染まっていく。うん、彼が造る新しい詩を聴けるなんて。


犬の曲が流れる。ローラースケートパークには憧れた。途中でらーらーらーっと専科が。また戻ってローラースケート。行ったり来たり。


そうそう、彼の声とか唄い方はどうだったかな?勿論、変わってしまったし、出ていない部分もある。かすれてた場面もね。でも、それでいいんだ。大丈夫。


「ずっと感じたかった僕らを待つ!」「まるで完璧な絵に似た!」


「業務連絡ー!渡部さん、お客さんの顔を見たいから客電を付けて下さい」振り返ったら客席のみなさんの幸せそうなこと。全国でこれが拝見できるんですね。彼は幸せだと思います。


ぶっちゃけて書くと、”あの頃”の曲がスタートする度に泣いていた。楽しかった時代なんですよ。


「ボクは大衆音楽の一部になれたことを誇りに思います。ありがとうございます。」


カローラ2は唄い出しても理解できなかった。本当に脳内で連結されていなかったんだ。


プラダの靴が」うおおおおおおおおおお。


アーリー90年アシッド調の天気読み。にゅにゅにゅにゅ!当人はお気に入りなのか


今日のハイライト。ボーイズライフ→強い気持ち。ボーイズライフを嫌いなんだろうなってのはこっちの勝手な思い込みで。


十年以上前から何度聴いたことか。でもここで毎回感極まってしまう。「長い階段を昇り、生きる意味が解る 大きく深い川、君とボクは渡る」この気持ちは本当だよ。


初日でこの曲の後に彼が泣いていたような印象を受ける。質問しても返ってこないから、これは本当のことになりました。


あ、客席に父上と母上がいました。あれだけのお客さんから愛されている姿を見てどう思ったのかな?


スチャのパートを客席に唄わせる。客席にいたんですけどね。まあ、すらすら唄えること。「心変わりの相手はボクに決めなよ」


ああ、夢が夢ならそれでも構わない。花火で遊ぶ彼氏がビジョンに。しかし、ビジョンの映像チョイスが謎。虫たくさんとかなに?


麝香が流れる。あの時代の曲も並列になっているんだろうか。当時は困惑しかなかったかも。今もかな?


世界でのお笑いについて。ああこれ解る解る。ごっつとlifeは一緒なのさ。


「今日、革命が起こるかもしれない」との挨拶の後に、ショッカショ節。ソウルフラワーユニオンに聴かせてみたい。あ〜もう一回!


美しさの時のビジョンに、メンバー初顔合わせのシーンが映る。みんなにこやか。真城さんの笑顔がまた。


光る海が見えてくる。この瞬間にギターが光る。照明の反射の関係だけど、これにはきた。


ドアノック。お前にとっての右なんだ。自分の好きなように踊れ。


ある光は自分にとっては終演の曲だった。あれで全てが終わってしまったんだな。彼がもう一度唄う。さらっとワンフレーズのみで。神様はいたんでしょうか。いや、”思った”から別に神は存在しなくてもいいか。


時間軸を曲げて。でも、この会場自体が時間軸を曲げているような。


ラブリー。これを初めて聴いた瞬間があったのですよ。まさかこの年齢でもう一度踊ることになろうとは。


英語の部分を日本語に置き換える。ひーふーひふみよ!で全ての曲がスタートする。売店にはうさぎ!が売っている。


流星ビパップをもう一度。今度は客が唄う番か。でも、先導してくれないと迷います。これからもいろんなことを教えて下さい。


彼と石野さんが自分に沢山の音楽を教えてくれたんですよね。渋谷のレコード街。少し向こうの下北まで。


いちょう並木のセレナーデで、ステージ上に星が映る。うん、この光景は一生忘れない。


そして、物語の最後は愛し愛されて生きるのさ。大事なことは二回言う。だから曲間の台詞も二回言う。
”家族や友人達と並木道を歩くように 曲がり角を曲がるように 僕らは何処に行くんだろう?っと何度も何度も口に出してみたり 深夜に熱心に考え 深夜に恋人のことを思って 誰かのために祈るような そんな気にもなるのか!なるのか!なーんて考えたりもするけど!!”


「10年前のぼくらは」と唄ってくれた。10年前なんだな。”ぼくらは時を行く”。


終演です。自分はまた消えてしまったとしても生きていけます。十五年後ぐらいにでも。




幸せな瞬間だった。ありがとうございました。感謝の言葉しかありません。




●あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう

次は貴方の番です。気長に待ってますよ。




おしまい。



追伸;
http://www.asahi-net.or.jp/~aq4j-hsn/okazaki/
関東公演初日の最後の最後、彼から「岡崎京子さんが来ています!」と紹介があったそう。
この出来事について、なんて書いたらいいんでしょうか?
うん、彼と同じでみんな彼女が大好きで大切に思っているんですよね。「笑いのたえない生活」をおくって下さい。