2016年3月9日dommuneの杉作J太郎&吉田豪のJGO(ゲストshell)にてFMWの話をしてたのでメモ程度におこしたものをアップします。アウトなら削除します。

杉作先生のイベントにそこそこの頻度で足を運んでいるのですが、数回しかfmwの話しをしないのですね。その貴重な機会がドミューンであったのでメモとしておこしたのをアップしてみます。



※関連
高野拳磁と冬木FMW時代を語る杉作J太郎 - 端倉れんげ草 (id:eg_2 / @eg_2)
http://d.hatena.ne.jp/eg_2/20101012#1286891584



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g「この並び(shellとj)は僕としては感慨深いですよ」
j「僕も感慨深いです」
g「何年か前に話題になったネットの原稿がありましたじゃないですか」
s「ありましたね。」
g「あの、FMWの荒井社長の娘さんですね。今は音楽活動をやられている」
s「はい」
j「僕はねお目にかかるのは初めてなんですよ。お父さんとはご存知かもしれませんが、家族同然の時代がありまして。いや、家族同然といいますか、他の誰よりも長い時間会ってました。おそらく家族の、お父さんと会ってる時間よりも僕は長く会っていたかもしれません。やっぱりあんまり会う時間なかったんじゃないですか?」
s「そうですね、記憶は四個、五個しかないですね」
j「あー、やっぱり僕らと一緒に居たからですね、だから僕の記憶の中では荒井さんがお父さん、お母さんが冬木さん、そんな感じでしたよ。冬木さんはお母さんですね。シルエット的にも顔的にも(笑)で、僕が次男、長男が木目(東芝EMI)ですね」
g「プロレス会場にも行ったりしてたのですよね?あんまり覚えていない?」
s「一回だけ行った記憶があって、怖くて泣いて出た記憶があります」
j「あー、、、何が怖かったんですか?」
s「血。殴ったりしているのが怖かったんで」
j「お父さんは家で暴力とは関係ないですよね」
s「まったくですね」
j「やっぱり、暴力がね、うん」
g「血がよくでる時代でしたからね。あ、その頃はもう違うのですか」
j「いや、血は出るでしょう。裸で戦っているのですから。うーん、僕はですね、色々お話は伺っていたのですね。特にお亡くなりになった後にですね、鈴木健さんから聴いたのですよ」
g「(元)週刊プロレス鈴木健記者ですね」
s「あー、解ります」
j「あの娘さんのことを。あー娘さんいらっしゃったのですね。勿論その時も知っていたでしょうが、娘さんがお父さんのことでさみしい想いとか辛い想いをされてたら本当に厳しい話しだなあっと。でも、まー、すくすくとねー。」
g「そもそも、そんなに知らなかったんですよね。お父さんのこととか。」
s「そうですね。中学生の頃に自分で調べて知りました。」
j「ん?ということは若い時に亡くなったと?」
s「多分、私が5〜6歳の頃に亡くなったと思います」
j「あー、確かにそうだね。なるほどね。あー、、、そうですかー」
g「で、詳しい説明もされないまま育っていた感じですか?」
s「そうですね、はい」
j「で、ある日突然、お父さんがプロレスをやっていたんだよと聞いたと」
s「それは知ってました。なんの仕事をしてたのかは知ってました」

j「本当に素晴らしいお父さんでしたよ。元々僕はですね、FMWという団体をよく観に行ってたのですね。お父さんは偉くてですね、漫画にも描いたのですが、昔、長崎じゃなくて宮崎県でですね、洋上プロレスってをやりまして」
g「やりましたね、水上のヤツ」
j「僕はね、赤田(多分、赤田祐一氏)と一緒に観に行きましてね、荒井さんはリングアナで、リングが海にぷかぷか浮いているのですよ。僕らは埠頭で観ているわけですよ。で、荒井さんはリングアナですからリングの中にはいられないじゃないですか。なので、小舟に乗っているのですよ。リングの横で。小舟に乗って揺れながら”只今より!試合を開始します”(甲高い声マネ)」
g「あー、似てる(笑)」
j「カン!ってゴングをならすのですけど、ゴング係っていつ試合が終了するか解らないからいつも右手を上げて観ているのですよ。それを一生懸命ですね、船の上で手を上げて待っていて」
s「そうなんですか(笑)」
j「真面目な人だなあ!!というのを覚えていますね。この荒井さんは偉いなあ、船の上で真面目な顔をして揺れながらね。それが最初に荒井さんを観て偉いなあっと思ったのですね。元々仕事熱心な人でしてね、手を抜かない人でしたね。全てにおいて手を抜かない人でした。一生懸命やる人でした。そして、なあなあみたいな感じもしない方でした。例えば、みんなで晩ご飯を食べようかってなる時にですね、弁当とか、そんなにみんなもお金がなかった頃ですね、お弁当買ってきましょうかってなった時に”ワタシがお金を出します”っとなったら引かない人でしたね。500円ぐらいのものでもです。他にも道順が解っていて、あそこですよって解っていてもですね、必ずカーナビを観る人でしたね(笑)んー、真面目な人でした。あんな真面目な人はいないじゃないかというぐらいでした」
g「それがプラスでもありマイナスでもありって感じだったのでしょうね。多分、山口日昇ぐらい好い加減だったら、もしかしたらなんとかなっている部分もあったのでしょうね」
j「あー、おそらく、そういうことだったんじゃないかな。うーん、でもね、あの、真面目だけどね、真面目がゆえに大胆な方でしてね、隠し事のない方でしたね。僕はお父さんと一緒にお仕事する様になった時にですね、一番最初に解説の仕事をしませんか?って誘われたんですね」
s「解説ですか」
j「ディレクtvってアメリカのテレビ局がありまして、そこで放送が始まるっていうのでしてね」
g「そこから結構なお金が出るからエンターテインメントが出来る!っと」
j「そりゃあ、アメリカの大企業ですからね、当時ね、もの凄いですねお金が使えたわけなんですね。でも、そこが(笑)、そもそもの失敗だったんじゃないかと。そうやって話していたんですけど、じゃあ、なんで俺が解説だったんだと(笑)」
g「ダハハ!!ビックプロジェクトで(笑)」
j「あのー、超ビックプロジェクトなんですから、僕じゃなくて藤岡弘とかですねせがた三四郎とかにですね」
g「当時の時代でしたらね(笑)」
j「何故に俺だったのか。せめて加藤武とかにですね、倉田保昭とかにですね、、、」
g「でも、jさんのあの当時の解説は凄い良かったですよ!」
j「そうなんですよ。結局荒井さんはですね、見る目があったのですね。その荒井さんが僕に解説の仕事を頼む際にですね、正直僕で大丈夫ですかね?って聞いたのですね。僕は無理じゃないですかねって聞いたのですね。勿論プロレス好きでもっと有名な人ももっと沢山居るんじゃないかと、”いやー、僕で大丈夫ですかね?”って聞いた時に荒井さんがですね”杉作さんはですね、ちなみに怪我をされても大丈夫ですかね?”って聞いてきまして」
g「ダハハハハ!ストレートですね(笑)」
j「”ですから、ご家族とかいらっしゃったら怪我をされた時には、保障とかやはり厳しいですかね?”と。いや、僕は芸能プロダクションとかに入ってはいないですから怪我しても大丈夫ですって言ったら”はー!よろしくお願いします!!”というか」
g「ダハハハハ(笑)様は試合に巻き込まれる前提であるって話しなんですね(笑)」
j「だから、せがた三四郎じゃあダメだったわけですね。」
g「大揉めになりますよ(笑)裁判ざたになります」
j「うん、ですからね、その辺が荒井さんの正直なところだったんですね。隠し事の無い人でして。だから付き合っていましててね、何か企んでいるのかな?ってそういうことは一切ありませんでしたね。だから、僕がですね途中で辞めて、クビになるのですが、その時もですねズバリですね、会った時の顔と雰囲気で解りましたね。あんまりこの話しは人にしたことはありませんが、お会いしましてね”すいません。もう消えて頂けないでしょうか”とですね。うん。なかなか言い難いと思いますよ。相当僕も一生懸命やってましたし、結果が出ないにしても一生懸命やってまして、そこでもうちょっとやってみます?ってことではなかったですね。もう消えて下さいと。いつから消えて下さいと、何月何日で引いて下さいと」
g「jさんがお金貰えなくなっても時間は費やしていた時期ですか?」
j「あー、まあまあお金はですね、僕はお金にはうるさい人間ではありませんですし、ただ荒井さんはですね、お金に真面目な方でした。今ですね、お金が貰えないって言ってましたけど、本人は気にはしていたと思います。すーっごく気にしてたと思います。あの、最後の最後にもですね、それがですね封筒が来ましてね、本を書きましたと、それで本の中で杉作さんのことを書いてしまいました。ただですね、そこで印税が入りますから、その入った印税の中から溜まっている、滞っている部分を部分を、と書いてありまして、ただ辞めて随分時間が経過しているのですよ、もっと払わなきゃいけない人もいるのかもしれないのですよ、なのに”その中から多分支払われる手筈になっているかと。お待ち下さい”と書いてありましてね。うわー、真面目な人だなあっと。字もですね、几帳面な字でですね、小さい字でですね、僕はあの本当に真面目な、プロレスってやっぱりあの、ともすれば怖い、恐ろしい世界の様な気がしまして、僕なんかの門外漢の人間が入ってきて怖さも若干ありました正直、でも荒井さんが居たからやっていけたのだと思いますね」
g「ちゃんと約束を守ろうとしてくれた人が居たと」
j「あとは、荒井さんがちゃんとしているから。あれ冬木さんだけだったら怖かったかもしれません。冬木さんも喋らなかったしですね。冬木さんはまた不思議なことをしてまして、いつもくっちゃくっちゃ口をもぐもぐしてまして、ビンを持って中に何かを捨てて”うわー、気持ち悪いなあ”と食欲無くなってきたよ、何をしているのかって煙草なんですね、噛みタバコをくちゃくちゃしてた」
g「あー、はいはい、唾を飲んではいけないのですよね」
j「もうやめてよーってなるけど、荒井さんはそんなこともしない真面目な方でしたね。偉かったですよ。女性関係とかもまったくありませんでしたし。偉かったです。一回ですね、海外から来た選手達をですねキャバクラに連れてったことがありまして」
g「キャバクラ接待!」
j「それをですね、重大なことみたに言ってましたから。ショーンマイケルズの息子とかをですね」
g「ダハハハハ!ショーンマイケルズの息子をキャバクラに連れてった(笑)」
j「”キャバクラで接待したのですよー!大変でしたよー!喜んでましたよー!”って本当に喜んだのかな?って親父に言うのかな?帰ってとか(笑)」
g「アメリカの大スターですよ、お父さんはね」
j「ただ偉い方でした。偉大な方でしたよ。僕の目にはですね、誰が来ても動じない方でした。ですから、ショーンマイケルズとかですねファンクスとか色々来たのですが、海外のスーパースターが来てもまったく動じてなかったですね。まったく動じずに英語でですね」
s「英語ですか?」
j「英語で喋っていましたよ。たいしたもんだと思いましたよ。だからですね、海外に行ってらしたのでしょ?」
s「高校三年間は海外でしたね」
j「唄は英語なんですか?」
s「唄は日本語ですね」
j「英語も喋れるのですか」
s「日常会話程度ならですね」
j「はーたいしたもんですね。それでshellなんですか」
g「それでshellなんですか(笑)」
s「で、そうですね(笑)はい」
g「で、お父さんの想い出を1曲作っていまして今日はそれを唄ってもらうから最初にトークしてフリが会った方がと。もう1曲はコラボとかありまして」
j「貴方はなんでそんなに知っているの?今日は初めてお会いしたってのに」
g「Twitter上での交流がありまして。大阪で5分ぐらい会いまして」
j「だからそんなに貴方達は仲がいいというか」
g「5分程度ですよ!」
j「僕はひがみっぽいから!!」
g「ダハハハハ!ひがまないで下さい!僕は荒井さんは一回しかお仕事したことがなくてですね、そこまでの知識はないのですよ。トークイベントで一回ですね」
s「そうなんですか」
j「荒井さんはですね、本当に、ある一時期にですね、ほら人間って出会ったりとか別れたりとかは当然あるわけですよ、別れたら別れたってことはあると思いますが、事実は事実としてある一時期にですね、本当に家族の様なですね信頼関係とですね、まー!とにかく一緒に居ましたね。まー、隠し事とか我々の間には一切なかったかと思いますね。その当時、僕と冬木さんと荒井さんと木目と、あのー、隠し事とかなく全部全部曝け出してたと思います。勿論途中からですねそこにハヤブサも来たのですよ。ハヤブサは最初は居なかったのですが、さすがにちゃんと言わないと聞いてないんじゃないかって話しになりまして(笑)」
g「誰かがちゃんと伝えてないってことが出て来るわけですね」
j「そんなことがありましたね。大変な状況なんですから自覚を持ってもらわなくては困るって話しになりましてね。これは大変な状態だったのですよ。それを選手のみんなは知らないから、基本的に。伝えないようにしていましたね。あ!荒井さんはそこも偉かったのですよ」
g「徹底してたのですね」
j「お金がなくてもですね、無い袖は振れないというかですね、選手にはですね伝えない、おそらくですね、勿論選手の中にはですね、あんまりもらえないとかブーブー言ってた人も居るかもしれませんが、多分ですね僕らスタッフのは止めても選手には払ってたと思います。実況やってた斉藤さんの会社は相当止まってたと思います。jctvなんかは相当支払いが止まってたと思います。そこの途中に入ってた銀行があったのですが、fmwのメインバンクがありましたが、実況放送中にそこの悪口言ってましたから(笑)」
g「ダハハハハ!払いが無いって(笑)」
j「”あのちゃちな銀行が!”とかですね(笑)でもですね、娘さんがこうやって立派にですねすくすくとやられているというのはですね、本当になによりですね、私もそうですがファンのみんなもですね、お父さんもですね本当に安心するというかですね、shellさんが頑張るのがありがたいです」
s「頑張ります。もっと頑張ります」
g「非常に感慨深い感じですよ」
j「本当にですね、我々に出来ることがあればね、豪ちゃんもね、我々も家族同然なんだから」
g「ふははは。はあ」
j「我々も家族同然なんだから」
g「僕も今?今は家族(笑)」
j「今は!今はね!!」
g「はあ、了解です(笑)」
j「昔の荒井さんみたいな感じなんだから!だから頑張りましょうよ」
g「頑張りましょう(笑)」
j「こんな流れで唄えますか?」
s「大丈夫です」
g「では準備お願いします」
j「いやー、準備中にですね、走れメロスじゃないですが仲がいい悪い抜きにしまして、もうファミリーだよ。家族だよ」
g「ですね」
j「今日よく解りました。雨がざーっと降っているけど、遅刻しようが何しようがあいつは来るって思ってましたお互いに。多分ね」
g「そうですね」
j「その信頼関係はね、長年のね、培われましたね。ねえ、ホント1つ頼むよ」
g「雨の中、自転車で手の感覚がまったくなりながらも、ま!行かなきゃとなりますよね」
j「はー!涙が出そうですよ(笑)」
g「ダハハハハ」



ここで唄。
Have you heard ‘十人十色’ by Rika Abe on #SoundCloud? #np https://soundcloud.com/rika-abe/juwuluzgnxtv?utm_source=soundcloud&utm_campaign=share&utm_medium=twitter



j「いやー、いい唄だねー!」
g「異常なストーリー性ですね」
j「前に進もうっと。強いね!shellさんは強くなったのですね。いろんなことを乗り越えて。あの周辺の人はみんなね、辛い想いはしたけれどもね、真面目にやっているから辛いのですね。トラブルがあったりした時に真面目だからしんどい想いをするのですよ。だから真面目な証拠だよね。僕はあの事件があったりああいうことがあってもね、人の悪口ばかり言ってヘラヘラしているヤツもいるのですよ、あの当時の奴らには。ああいうのはやっぱりダメだと思いますね。そりゃあ、しんどい想いになって当然だと思うのですよ。人の悪口を言うための時間ではないもの、それはね。だからそんなことではすまないしね、だからやっぱりね、この明日に、それでも明日があるのだからさ」
g「そうですね」
j「明日があるってことはすばらしいことですよね」
s「はい」


次の唄。コラボ


j「いやー唄上手ですね。あのね、お父さんもまた唄が上手だったのですよ」
g「唄ってましたね。翼を下さいとか」
s「一回観ました、動画を」
j「観ました?あれはね、唄ってもらうってのは多分僕からの提案だったと思います。やはり最後の頃に途中でディレクtvがなくなって予算が減ったのですね。で、予算縮小してやって行かなきゃならないとなった時に自分達で出来ることはないかって考えた時に、荒井さんが唄が唄えるとなりまして、ギターも弾けて唄も出来るとなって、やってみたらもう、そっちでやれば良かったのにというぐらいにね。上手だったでしょ?」
g「観ました観ました」
j「なかなか立ってギターを弾きながら唄うってのは難しいですよ。だから多才だったんですね。で、唄の好きな感じが遺伝されたのですかね。うん。」
g「そんな感じですか」
j「いやいや、せっかくですからね。」
g「おおう!jさんがですねfmwの話しをするのは非常にデリケートで。あんまりしないのですよ」
s「そうなんですか」
j「あー、だからね、今ね彼が若干僕に気を使ってくれたからね、後で僕が怒ると思ったんじゃないですか」
g「ダハハハハ(笑)」
j「”豪ちゃん、俺はもうつらいんだよ”って。たまにあるんですよ」
g「ダハハハハ(笑)そうなんですよ」
j「まー、これは特別な感じですよ、これは。本当にですね、観て欲しかったというかね、お父さんにこの大人になった姿を。だから、僕はね、荒井さんはshellさんの大人になった姿を観れないけど、例えば豪ちゃんだって荒井さんのことは知っているんだし」
g「勿論です」
j「で、僕はよく知っています。そういうお父さんと付き合いのあった人とかお父さんを知っている人が娘さんを観て上げることが、お父さんは亡くなってしまったけど、これが我々の義務なんじゃないかな」
g「そうですね」
s「ありがとうございます」
j「僕がね、僕がこの目で観てね、荒井さんに届けた、届けるつもりで観てました」
g「届けー!っという感じで」
j「届けーー!!!って(笑)」
g「ははは。ちょうどですね、ハヤブサさんの件もありましたけど、多分、思うことも色々あるかと」
j「でも、全然それは接点なかったわけですもんね?」
s「でも会った記憶があるんですよ」
j「あー、そう!そうですか」
s「そのプロレス観に行った時に、怖くて外出た時にだっこしてもらって。白いマスクの人にだっこしてもらって、その記憶があって色々調べてみたら、あ、ハヤブサさんだっと」
j「黒いマスクだったらサスケだったんですけど」
g「ダハハハハ。悪い想い出が残っていたのかもしれない(笑)」
j「まあ、悪くはないでしょうけどね(笑)」
j「はー、まあ、そうですか。本当にね、寂しかったんだろうし、辛いことが」
g「相当大変なことがあったのは唄を聴くだけで解るじゃないですか」
j「うん、そういうことをね、そういうことを乗り越えるための自分のね、解決方法を見つけ出して、それが2曲目の唄にもありましたけど、ちゃんと全部話し合ってじゃないですけど、ちゃんとコンタクト取り合ってね、やっていくってのが一番幸せにつながるね。乗り越えていくために我々は毎日生きているわけで。結局は。今日から明日へ生きていくために。そこは我々は明日へ乗り越えていくための同士なわけで、あの連絡を取り合ったりすることは大事だしね、うん、一人で悩まない様にしないといけませんね」
s「そうですね」
g「それはやっぱりありました?」
s「ありました。バレるのが恥ずかしかったりしたので」
j「あー、、でもこうやって出してしまって。そうした方が」
s「そうしてずっと心に溜めてて、音楽初めてから唄にしようと思って、これを書いたのは自己満足で書いたのですね最初は。サビもないし、決まったメロディもないか。で、自分でノートに書いてて、色々あった時に。それから一回音源にして出してって感じです」
j「んんん。あのね、豪ちゃんはよく解ると思うけど、今の話しは。ちょっとで握手しましょう」
s「ありがとうございます」
j「あのね、まったく一緒なんですよ僕も」
g「描くことによって」
j「ホントに辛くてね、さっきの鬱病じゃないけど、生きていけないような状態だったのよ」
g「一時期かなりヤバかったですよね」
j「それでね、まったく一緒でした、今回話しを聞いて。僕はそれを小説にしましてね、その小説もまったくの自己満足で、描くことによってというか、僕も隠して抑えて封じ込めようと思ってたんだけど、なかったことにしようってなってもなかったことにはならないしさあ」
s「そうですね」
j「そうして描くことによってみんなにも知ってもらって、というよりは自分の中にあるものを出すことによって消化出来るというか、ま、100%は消化出来ないだろうけど。」
g「杉作さんは”応答せよ巨大ロボット、ジェノバ”という小説でロボットものの小説なんですけど、主人公が明らかに自分がフィードバックされてて、多分、書いていることで何かが、何かの供養とかそういうものをして読んでましたよね」
j「元々はその時もジェノバって小説をね、映画ってのは男の墓場プロダクションというのをね作った時から考えていたことではありますからね、全然別の話しだったのですよ」
g「そもそも墓場プロってのが存在自体がそれじゃないですか」
j「そうそう、tシャツも毎回着てますけど、墓場って言っても腹がね、また冬木さんみたいな体になってしまって」
g「ダハハハハ」
j「でもね、みんなの想いを乗せてね」
g「当時一緒に会議とかをしていた仲間達がどんどん居なくなっちゃのでプロダクションを作ったという流れがあるわけですね」
j「ただね、残った者はね、亡くなった人達のことを想い出してね、その人の分まで、その人の分まで頑張るって、多分ね、一番シンプルだけどね、事実なんですよ」
g「はい」
j「だってね、僕らも死ぬのですよ。どうせ」
g「当然」
j「あの新撰組って団体もね、沢山先に死にましたけど最後に土方歳三がね、結局最後に北海道で死んだ土方が1番みじめかもしれないですよ。あの縁もゆかりもない北海道で。京都で死んだ方が良かったなというかね。だから、どうせみんなもいつの日にか消えていくわけなんですけど、この世の中から。それまではね。それまでは残った者がね、亡くなった方を想い出しながら頑張って行くっていうね。でも、そうやって出すことで乗り越えたんですね」
s「はい」
j「でもよく出せましたね。勇気いったでしょ?」
s「そうですね(笑)少しの友達にしか言ってなかったので」
g「お母さんは多少は元気になられた感じなんですか?」
s「お母さんはハイとローの繰返しです」
g「まだ」
j「うーん、厳しいね」
g「厳しいですね」
j「この人はね、精神的になんでもないんですよ。タフなんですよ。この人の遺伝子とか研究してみたらいいと思うよ。この人の遺伝子とか小保方さんに進呈してみたいですよ」
g「ダハハハハ!」
j「なんか小保方さんが研究してたものをあんたが持っているのかもしれない」
g「なるほどね。巻き込まれる能力は高いと思いますけど」
j「まったく傷つかないのよ」
s「強いんですね?」
g「心が折れないでなんとかいける能力が」
j「恐ろしいよね。恐ろしい男ですよ。何にも傷つかない、どこに行っても」
s「Twitter観ててもそんな気がしました」
j「落合信彦みたいな男ですから」
g「ダハハハハ」
j「すいません。訳の分からないことを言って」
g「解んないですよ!年齢的に!今は年齢的にはおいくつなんですか?」
s「19です」
j「19歳!!!まだ!!!!大丈夫なのこの時間は?」
g「19は大丈夫だと」
j「じゃあ、これからまだどんどん唄は素晴らしいけど、これからどんどんだね!楽しみだね」
s「めちゃ楽しみです」
g「プロレス関係の前座とかでも唄うそうです」
s「どこでも呼んでいただけたら」
j「はー、楽しみですね。あの、お父さんも素晴らしいエンターテイナーだったですからね。やっぱり負けないように頑張って欲しいですね。逆に言うとね、お父さんが最後があんな感じだったから、どうしても尻切れとんぼみたいな感じのね、印象になってそのイメージがついてしまうのだけど、やっぱりお父さんはね、素晴らしいエンターテイナーでしたよ」
g「試合やるって流れになったときもむちゃくちゃ面白かったですよね」
j「素晴らしかったです!で、もうメリハリがあるしね、出て来ると場を圧倒しますしね、僕もお父さんと仲が良かったことがある人物としてね、shellさんにね、お父さんのことは今の人は知らないでしょ、そうしてああいう事件で終わっているからね、やっぱりね、お父さんに恥をかかさないような、そういうちゃんとした活動をね、貴方が頑張れば頑張るほど、お父さんがちゃんとしてたからね、という印象をみんな想い出すからね。本当に素晴らしかったからね、豪ちゃんね」
g「押忍。ちゃんとしてましたよ」
j「試合やった時とか本当に凄かったもんね」
g「そうなんですよ、練習から何から全部面白かったんですよ」
j「うん、手を抜かない人だったね、何事にも。結構気の強い方でした」
s「そうなんですか。初めて聞きました(笑)」
j「そうですか!これはとにかく気が強いのですよ。みなさんね、うん、僕も凄くよく知ってるから、お話するのが義務だと思ってしますけど、僕とか冬木さんが若干困るぐらい気が強かったですよ」
g「冬木さんはシャイな人ですからね」
j「正直な話しこういうことがありました。もう会社を潰した方がいいんじゃないかってことがあったのですね。それをね、荒井さんは潰さないと。冬木さんはね、潰した方がいいんだよなって。”もうね、恥ずかしい話しになるけど潰した方がみんなも楽になるから”と。でもね、そこで荒井さんは引かなかった。絶対潰さないと。じゃあ、荒井さんがそう言うなら俺らも頑張ろうっというね。あの、うん、気の強い方でしたよ。そして正義心の強い方でした。道場で何か問題があるとね、僕なんかはね、もういいんじゃないかなっと。古参の選手なんかもうるさいし。でも荒井さんはそれでもぴしっと怒ったりしてましたよ。もう躊躇のない方、正義心の強い方でしたから。行動力のある方でね、気の強い方でした。一回言い出したら本当に引かなかったですね。例えば何かを決めてね、荒井さんがこれで行きましょうとなったらね、うーんどうかなーって流れになっても荒井さんが社長だからね、そこは荒井さんの所に落ち着くんですけど、3時間5時間6時間と説得して話してもね、そこでね、解りました荒井さん、そこで盛り立てて行きましょうとね、頑固な気の強さのある人でしたよ。だからね、決して最後がああいうことだったからと言ってね、決して気の弱い、弱々しい人ではありませんでしたよ。軟弱な雰囲気の方では一切なかったですよ」
s「初めて知りました」
g「お父さんの話しを知りたいと聞いてた時期がありましたので。今日は本当に満足出来たと思いますよ」
j「あのね、本当にね、自殺っていう最後を選んだからね、気が弱いというかね、なんかね、ちょっとまいりやすい人だったんじゃないかと思っている方も居るかもしれませんが、荒井さんはね、そうではないからこそ死を選べたんじゃないかと。あのね、攻めの気持ちで死んだんじゃないかと。最後も死ぬことによって今滞っている部分とか、お金の部分から何からも解決するにはそれしかないんじゃないかという、そこで僕はその選択にはどうこう言うつもりはありません。相当真剣に選択したはずなんで。ただ本当に意思の強い方だったので。貴方もね、唄でやると決めたからにはね、頑張りましょうよ」
s「全力で頑張ります」
g「そんな感じですね。今日はありがとうございました」



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